ぴかまく公論  カワイイ☆

2012 年 10 月 7 日

 オーエム産業株式会社

代表取締役社長 難波圭太郎

カワイイ☆

アニメや漫画、ゲームやJ-POPなど日本のポップカルチャーが、ヨーロッパをはじめ、アメリカや東南アジアで「COOL JAPAN」と呼ばれて注目されるようになって久しい。最近では自動車や家電などの日本製品、茶道や武道、禅、料理、漢字などの伝統文化なども含めて、僕ら日本人には当たり前だったり、もしかしたら忘れてしまっているような“日本の良さ”が海外でカッコイイ(COOL)と思われているようだ。

COOL JAPAN」の中でも特にガールズファッションのキーワードは「カワイイ☆」だ。日本の女の子(最近では男の子でもみかけますね)の重ね着や着崩し、色や柄の組み合わせ、どんなアクセサリーをつけているか、それらが「カワイイ☆」「トーキョー」「ハラジュク」という言葉といっしょに世界に配信され広まっていった。東京の街を歩いている女の子が世界の女の子のオシャレの先生になっているのだ。

ところで、僕には忘れられない「かわいい」がある。中学生の時に亡くなったおじいちゃんの「かわいい」だ。おじいちゃんは僕ら孫がケガをしたりケンカをして泣いたりすると、泣いている僕らを自分の膝の上に抱き上げ「かわいい、かわいいなあ、かわいかったなあ」と声をかけながら頭をなでてくれる。僕は子どもながらにおじいちゃんは「かわいそう」を言い間違えているんだって思っていた。でもあれは、いつまでたってもいつも「かわいい」だった。おじいちゃんは、本当はお医者さんになりたかったらしい。でも戦争があったことや母一人子一人だったこともあって、食べていくために高等学校の先生を生業にした。校長室に生徒が集まってくるような校長先生だったそうだ。そんなおじいちゃんの「かわいい」は子どものころからの僕の宿題だった。「かわいそう」ではなく「かわいい」と言い続けた理由はなんなのだろう。

 

自分に子どもができて、なんとなく感じることがある。「かわいい子には旅をさせろ」「獅子の子落とし」「魚を与えるのではなく、釣りを教えろ」など「かわいい」には一方で厳しさが対になっている気がする。ただ「かわいい」とだけ無責任に言っているなんてできないのだ。ケガした時やケンカした時におじいちゃんが僕らに掛けていた「かわいいなあ」は「かわいそう」でもあるけど「このことを乗り越えていくんだよ」という意味だったのかもしれない。そういえば、ケンカをして泣いている時も二人を膝の上に乗せ、何があったのか聞いたり、どちらが良いとか悪いとか言うことは絶対になく、ただずっと「かわいいなあ」と声をかけながら二人の頭をなでてくれるのだった。

そう考えると、今の日本は「かわいそう」の方が多いかもしれない。徒競争で順位を決めたらかわいそう、権利が認められないのはかわいそう、お金をもらえないのはかわいそう、先生にしかられるのはかわいそう、勉強できないのはかわいそう、自分がしたような苦労をうちの子どもにさせるのはかわいそう、うちの子どもがかわいそう、うちの子どもぐらい…、まあそんなに固いこと言わずに…、「かわいそう」をされ「かわいそう」だからと“平等に、できるだけ平等に”“不公平にならないように”“不平不満が出ないように”もしくは“特別に抜きん出るために”与えられて、得るものはなんだろう。

次代を担う若者に子どもたちに、「カワイイ☆」だけでなく、あんな「かわいい」も伝えていけたらと思う。

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